三すくみについて その2

こんにちは この記事は前回の「三すくみについて」の続きです。
nemontemi.hatenablog.com


前回のおさらい
「ヘビ・カエル・ナメクジ」による三すくみに疑問をもっていろいろ調べたらいろいろわかり、それっぽい仮説を立てました。

  • 中国での当初の三竦みは「ヘビ・カエル・ムカデ」でナメクジは本来入っていなかった
  • 「蚰蜒」という熟語はゲジゲジを意味しているはずなのに、日本の昔の漢和辞典ではナメクジとして説明していた
  • 三すくみは「ヘビ・カエル・ムカデ」→「ヘビ・カエル・ゲジ」→「ヘビ・カエル・ナメクジ」と変化したのではないか
  • 考えたことが正しいという確証は全然ない。

という感じでした。

前回の記事を読んでいない人は先にそちらを読んでからのほうがいいと思います。


前回の記事で大きく間違っているところあることが発覚しました。前回の記事では古来ムカデだっただろうものとして螂蛆と書いていましたが、正しくは蝍蛆です。蝍の字が違います。漢字のミスをきっかけに調べ始めたのに自分が漢字を間違えていました。すみませんでした。でもそういうのが人間らしいじゃん?反省しています。前回の記事の誤りは直し、螂蛆って蟷螂の螂じゃんっていう部分は消しておきました。

今回の記事では前回の記事を書いた時点からさらに考察と調査を進めた結果をそこはかとなく書きつくります。




まずこのテーマに関係しているネットで見つけた先行研究やサイトを紹介しておきます

ことばの溜め池
駒澤大学総合教育研究部日本文化部門情報言語学研究室のサイトです。ナメクジとゲジの表記についての言及があります。

古代中国の三竦み(さんすくみ)伝説と日本での変容 - NAVER まとめ
中国の三竦みと日本の三竦みが違うことをまとめたnaverまとめがありました。これ理論を明示的に紹介してはいないもののまとめているものと順番を見るに内容が丸被りだし完全に先を越されているのでは?という気がしますがドンマイで。一応ゲジとムカデの入れ替わりについての話とか時系列の考察とかには明示的に触れていないのでセーフということにします。

中國古籍中的蚰蜒與蜈蚣(リンク先pdf)(2018/05/25追記 リンクが切れていたので保存しておいた中國古籍中的蚰蜒與蜈蚣をアップロードしました。怒られたら消します。)
昔の中国における蝍蛆・蜈蚣・蚰蜒が何を示しているかを考察した、國立中山大學生物科學系博士生の趙瑞隆と國立中山大學生物科學系教授の張學文による研究です。この論文の内容はなかなか面白いものだったので、僕が読み取った内容を感想や解説を交えながら以下にまとめます。

「中國古籍中的蚰蜒與蜈蚣」の概要と考察と前回の反省

論点その1:蝍蛆は蜈蚣なのか?

前回の記事では「蝍蛆は蜈蚣だったことにします」と言いましたが、この論文では実際どうだったのかというところを論じています。いくつもの文献を参照して考察しているのでそのうちいくつかをピックアップします。


廣雅での記述 蝍蛆は蜈蚣
「廣雅」は三国時代の魏で張揖という人が編纂した辞典です。類語辞典である「爾雅」の増補版と言われています。
この本の中には次のような記述があります(圖書館 - 中國哲學書電子化計劃)

蝍蛆呉公也

呉公とは蜈蚣から虫へんを取り除いたもので蜈蚣と同じ意味だと考えられます。蝍蛆は蜈蚣と言っていますね。ちなみにリンク先の写真で文章中に入り込んでいる小さい文字は発音を示しているものだと思います。


爾雅注疏での記述 蝍蛆は蜈蚣ではない
「爾雅注疏」は前漢に編纂された「爾雅」の内容を保存しつつその時代の学者が注釈を加えるという行為が積み重なった本で、北宋の時代に出版されたものです。
「爾雅」における蝍蛆の記述は次の通りです (Library - Chinese Text Projectと次のページ)

蒺藜蝍蛆

で、あんま情報がないです。蒺藜は現代の言葉で「ハマビシ」を意味するのですが、それがなぜ蝍蛆を意味することになっているのかはよくわからないです。「原本広韻」という本の中に螏蟍は蝍蛆と同じである、という話があります。螏蟍と音が同じ蒺藜を取り違えたとか、一人が書物を読み別の一人が実際に筆を持って読まれたこと書くというスタイルで編集していたら文脈を気にせずに同音異義語を書いちゃったとかそういう可能性がありそうです。

後ほど晋の時代に郭璞という人によって加えられた注には

似蝗而大腹長角能食蛇脳

と書かれています。「蝗に似ていて腹が大きく角が長くヘビの脳を食らう」、どう考えても蜈蚣じゃないです。というより蛇の脳を専門で食べる虫はたぶんいないですが、蝗に似ているという部分からバッタの仲間を指しているのだと考えられます。

宋時代の邢昺という人が加えた疏の中では

廣賀云蝍蛆蜈蚣也郭云蝗似而大腹長角能食蛇脳則非蜈蚣也

と書かれています。現代語にすると「廣雅では蝍蛆は蜈蚣って言ってるけど、郭璞は蝗に似ていて腹が大きく角が長くヘビの脳を食らうって言ってるし蜈蚣じゃないでしょ」みたいなことを言っています。



本草綱目 蜈蚣?蜈蚣じゃない?
本草綱目とは明の時代に李時珍という人によって書かれた本草書で、それまでの本草書や辞典を参照してまとめたり加筆したりしていて、量・質ともに本草学史上でもっとも充実していると言われているらしいです。
この本には次のことが書いてあります 本草綱目 第42巻 79ページ

図中の赤枠の中には「時珍曰按張揖廣雅及淮南子註皆謂蝍蛆為蜈蚣與郭說異許慎以蝍蛆為蟋蟀能制蛇」と書いてあります。意味としては「時珍は『廣雅や淮南子によると蝍蛆は蜈蚣であるって言ってるけど郭璞の説は違っていて蝍蛆は蛇を倒すことができる蟋蟀ってことらしい』と言っている」みたいな感じです。これを見る限り、李時珍も蝍蛆がなんなのかわかんなくなっているようです。明の時代に書かれた本草綱目の時点でもうわかんなくなっちゃって困っているので、今から蝍蛆が本来何を指していたのか知ることはできなさそうです。残念。蝍蛆の正体として蜈蚣以外に存在している選択肢は蟋蟀や蝗で、郭璞の著書である爾雅音圖という本の中では蝍蛆として蝗のような挿絵が描かれています(元論文末に画像があります)。


まあでも蝍蛆の実際の正体がなんであれ、蝍蛆はムカデであるという説が昔からあったのならば前回の記事で立てた日本の三すくみの起源に関する仮説は別に否定されなさそうです。



論点その2:蚰蜒がもともとゲジじゃなかった説

これはこの先行研究のメイン論点とも入れる部分だと思います。内容を紹介しながら前回の記事の反省をしていきます。
前回の記事で蚰蜒の部分を引用した時に、抜き出すところが違っていました。そもそも前回の記事を書いた時点では爾雅注疏がどのような形式で書かれているのかがわかっていませんでした。
蚰蜒が出てくるページの中から本来抜き出すべきだった部分は

螾☆(ゆきがまえに虫) 入耳
注 蚰蜒
音義 螾以忍反☆以善反本又作𧍢蚰音由蜒音延方言云宋魏之間蚰蜒謂之人耳字林云北燕人謂蚰蜒爲䖡蚭上音奴六反下音女其反
疏 此蟲象蜈蚣黄色而細長呼爲吐古案方言云蚰𧍢自關而東謂之蚰𧍢或云之人耳或謂之䗅𧕯趙魏之間或謂之蚨虶北燕謂之䖡蚭江東人呼蛩皆今蚰蜒喜人耳者也 蚰音由蜒音延𧕯音麗蚨音扶虶音于䖡音奴六切蚭音尼蛩音鞏

です。注より後のみ抜き出していたので最初の部分がちょっと抜けていました。

そして内容の解釈についてです。「此蟲象蜈蚣黄色而細長」という部分を見て「蜈蚣はムカデなので、爾雅では蚰蜒の項目でゲジの説明をしているようですね。」っていけしゃあしゃあと言っているのですが、愚かでした。先行研究ではこの部分について踏み込んでいます。
この部分の意味は「この虫は蜈蚣のような形をしていて、黄色くて細長い」で間違ってはいないと思いますが、これってほんとうにゲジを表した文なのでしょうか?ゲジは足が長いしムカデみたいな形と呼べるほどには細長くないです。また前回は触れなかったのですが蚰蜒の項目には次のような表現があります。

蚰蜒喜入耳者也 

意味としては「蚰蜒は喜んで耳に入るものである」というようなところだと思います。これは文字通り蚰蜒が人の耳に入ってくることを表している文なのですが、ゲジの体形を考えると長い脚が邪魔で耳には入れないし、耳に好き好んで入っていく性質も別になさそうなのでなんかおかしいです。こうなってくると「蚰蜒はゲジじゃない別の生き物を指していたのでは?」という考えが発生します。とはいっても蜈蚣に似ているとのことなのでナメクジってことはないです。じゃあなんなんだという話になってくるのですが、先行研究の中では蚰蜒は本来ジムカデを指す言葉だったのではないか、と言っています。

ジムカデとはムカデ綱ジムカデ目に含まれるムカデ類の総称で、ジムカデとムカデの違いとしては他のムカデ類に比べて小柄でかつ細身で頭が小さく脚が短く節が多くてそれに伴い脚が多いというようなことがあげられます。他のムカデと比べて地中に入り込む性質が強く、その反面移動速度は遅いとのことです。(ジムカデ-wikipedia)写真は元論文のpdfに載っているので気になる人は見てみてください。
ではジムカデとゲジのどちらが蚰蜒の対象としてそれっぽいかそれぞれの特徴をあげて見ていきたいと思います。全てのジムカデと全てのゲジに言える性質ということではなくてあくまでいい感じのものをそれぞれピックアップしています。

ジムカデの特徴

  • 見た目はムカデみたい
  • 黄色い
  • 体の断面が扁平
  • 頭側にも尾側にも動く
  • 脚はたくさん
  • のんびり移動

ゲジ

  • 見た目はムカデみたいと言われればそうだけど違うと言われれば違う
  • 黄色ってほどじゃない、黒い
  • 体の断面が丸い
  • 前に進む
  • 脚はそんなに多くない
  • 素早く移動

どうでしょうか。そもそも蚰と蜒という字はどちらも這ってうねうね動くみたいな意味の字でその点でもゲジよりジムカデのほうがピンとくるものがあります。また耳に入り込む性質も地中性の強いジムカデっぽさがありますね。蚰蜒はもともとジムカデだった説がかなり有力になりました。

じゃあいつ蚰蜒という単語の意味がジムカデからゲジに変わったのかという話になってきますが、著者によると本草綱目をきっかけにゲジの記述に変わったということらしいです。本草綱目中に次のような記述があります。本草綱目 第42巻82ページ

図中の赤枠の中には「狀如小蜈蚣而身圓不扁尾後禿而無岐大者長寸餘死亦踡屈如環」と書いてあります。これは「形は小さいムカデに似て体は扁平ではなく、尾部は剥げていて肢がなく、大きいものは3㎝強の大きさで、死ぬと環状に丸くなる」というような意味で、論文の筆者によるとゲジの特徴を表す記述になっているとのことです。
しかし実際のゲジは死んでもそんなに丸くならないはずなのでここはゲジの記述とかみ合っていないのではないかと僕は思います。本草綱目中には「ヤスデと勘違いされてるけど違う」と一応書かれていたのですが、実際のところ本草綱目の段階ではまだ形態の描写がちゃんとしていなくてヤスデとかほかの生き物とちょっと混乱していそうです。清代になると割と正確なゲジの描写になっていると思います。
なぜ李時珍はゲジとジムカデを間違えたのでしょうか。先行研究によると次の2つの可能性が考えられるそうです

  • ジムカデを知らなかった
  • ジムカデは見たことあったけどジムカデはほぼムカデだしムカデと区別されるとは思わなかったから描写になるべく当てはまる別の虫を探した

とにかく何らかの理由で本草綱目で蚰蜒の意味がジムカデからゲジに移行し、それ以降では基本的に蚰蜒がゲジであるという解釈が主流になり現代にいたるそうです。


いやーこうやって言われてみると確かにゲジの描写にしては適当すぎるし、自分で読んだときにちゃと描写のおかしさに気付くべきでした。こういう気づき力が足りないのは結構悔しいです。


先行研究中ではほかにも
・蜈蚣の形態の描写を考察すると蜈蚣はやっぱムカデだったけど種類はわかんない
・昔の人ムカデの脚の本数と能力を大げさにしすぎ、そうやってすぐ話盛る
の2つについて論じています




ここからは先行研究のことではなく、前回の記事に追記を加えた後に個人的に調べたことを書いていきます。


倭名類聚抄の記述の謎

まず、前回の記事では読むことができないと言った新修本草の全文にアクセスできるサイトがありました。
倭名類聚抄においてゲジがナメクジとされた理由の1つが「蚰蜒は本草で螔蝓」とのことなので、このサイト内で新修本草の該当する記述の存在を確かめようとしたのですが、そもそも蚰蜒の項目が存在してなさそうでした。蚰蜒という熟語は馬陸(ヤスデ)の項目に1回登場したのみであり、また螔蝓という単語は1回も登場していませんでした。倭名類聚抄中の記述はなんだったのでしょうか。
1つの可能性として、文中に出てきた「本草」というのが新修本草を示しているのではなくて別の本草書のことを言っているというものが考えられます。しかし倭名類聚抄が書かれた時代を考えると、中国でのメジャーな本草書として当時最新のものだったのは新修本草です。それより古いものを考えた場合「神農本草経」というものもあるのですが、新修本草はその内容をふまえてさらに詳しくした書物であるため、わざわざ古い方の本を参照する理由があるとは思えません。とはいっても何かあるかもしれないので念のため神農本草経も調べてみたのですが、そこには蚰蜒の記述がありませんでした。蜈蚣と蛞蝓の記述はあったんですが、薬の効能みたいなのしか書いてなくて特に有用そうな情報はありませんでした。

『倭名類聚抄』の本文に関する一考察(リンク先pdf)という李安九氏の報告によると、倭名類聚抄が本草を参照としている場合、基本的には本草和名を参照し、孫引きする形で新修本草から引用しているのではないかとのことです(リンク先21ページ註)。ということで本草和名をもう一度調べたのですが、やっぱり蚰蜒の記述はそもそもなくて、ナメクジのことは蛞蝓の項目で書かれていました。やっぱり倭名類聚抄がどこから引用したのかは謎なままです。

源順が参照した書物がもし本当に本草和名か新修本草だった場合には3つの可能性が考えられます。1つ目の可能性は僕が参照したサイトに載っている文章に漏れがあって蚰蜒の意味に関する記述が失われているという可能性です。2つ目は源順が参照した写本が特殊なもので、サイトに載っている新修本草の内容にはない記述が付け加えられていたり写し間違いが存在していたりする可能性です。3つ目は単純に源順がミスった可能性です。
本草が新修本草本草和名じゃなかったという可能性も考えられますが、その場合はいったい何本草を参照したのかという話になっています。僕の調査不足か、もしかしたら歴史の中で失われた本草書があったのかもしれません。

ところで倭名類聚抄の蚰蜒の項目で引用されていたもう1つの書物である兼名苑ですが、やっぱり亡失しているだけあって内容を確認することはできませんでした。そういうのはちゃんと後世に残さんかい。

という感じで倭名類聚抄の引用元についてはよくわからないということが分かっただけだったのですが、新修本草について調べたのは完全に無駄足だったわけではなくてナメクジとカタツムリについての情報を見つけることができました。それぞれの項目の内容の一部をサイトから抜き出して一部の簡体字を勝手に繫体字に直したものは以下の通りです。

蛞蝓
味鹹,寒,無毒。主賊風 僻,軼筋及脫肛,驚癇攣縮。一名陵蠡,一名土蝸,一名附蝸。生太山池澤及陰地沙石垣下。八月取。
蛞蝓無殼,不應有蝸名,其附蝸者,複名蝸牛。生池澤沙石,則應是今山蝸,或當言其頭,形類猶似蝸牛蟲者,俗名蝸牛者,作瓜字,則蝸字亦音瓜。莊子所雲,戰于蝸角也。蛞蝓入三十六禽限,又是四種角蟲之類。熒室星之精矣,方家殆無複用乎。

蝸牛
味鹹,寒。主賊風 僻, 跌,大腸下脫肛,筋急及驚癇。
蝸牛,字是力戈反,而俗呼爲瓜牛。生山中及人家,頭形如蛞蝓,但背負殼爾。前以注說之。海邊又一種,正相似,火炙殼便走出,食之益顔色,名爲寄居。方家既不複用,人無取者,未詳何者的是也。


またまた漢字ばっかりで困っちゃいますが、蛞蝓の項目にある「蛞蝓無殼,不應有蝸名,其附蝸者,複名蝸牛。」という部分と蝸牛の項目にある「頭形如蛞蝓,但背負殼爾。」という項目を見てください。蛞蝓の方には「蛞蝓に殻はないからその名前に蝸という文字があるべきではない。殻があるやつは蝸牛という」というようなことがたぶん書かれていて、蝸牛の項目には「頭の形は蛞蝓みたいだけど殻を背負っているんだよ」というようなことが書かれています。つまり蛞蝓と蝸牛という熟語レベルでは殻の有無が現代のものと対応しているということになり、前回の記事でちょっと触れた「カタツムリとナメクジの使い分けが謎」という部分に関しては、少なくとも中国においては意味の混同がなくちゃんと使い分けられていたのだとわかりました。
もう一度倭名類聚抄の蚰蜒の項目の内容をおさらいすると、「兼名苑は蚹蠃って言ってて本草は螔蝓って言ってるよ」という記述がありました(というよりはこれがほぼ全てでした)。前回は蚹蠃と螔蝓について詳しく調べることはせず「ちょっと検索してみたらどっちもカタツムリらしいしナメクジってよませるのはおかしいんじゃない?」みたいな感じで終わらせていたのですが、今回は蚹蠃と螔蝓という言葉の意味をきちんと知るために爾雅注疏で蚹蠃と螔蝓について調べてみました。すると、爾雅注疏の第九巻 釋魚第十六

蚹蠃螔蝓
注 即蝸牛也

という記述があることがわかりました。注まで含めると「蚹蠃は螔蝓のことで蝸牛ですよ」という意味です。やっぱり昔からカタツムリでした。爾雅とその注は晋の時代までに書かれたものだから倭名類聚抄を編集する頃の源順も読むことができたはずで、そこにカタツムリのことだよと言う記述が存在するのにも関わらず、源順は「螔蝓」の和名をカタツムリではなくナメクジとしています。蚰蜒とナメクジをごっちゃにしたばかりかナメクジとカタツムリもごっちゃにしているようでやっぱりこの項目は謎です。ナメクジを蛞蝓とする表記についても源順は本草和名を閲覧することで知れたはずで、こうなってくると源順がなんかやらかした説が強まってきます。蚰蜒の項目を書いたときの源順にはいったい何があったのでしょうか。心配になってきました。
ちなみに倭名類聚抄の蝸牛の項目にその意味の説明として

貌似螔蝓背負殻耳

と書かれていて、これは「カタツムリは螔蝓に顔がにてるけど殻を背負っているよ」という意味なので、源順は完全に螔蝓をナメクジだと思っていたことがわかります。となるとやっぱり源順が参照した書物がいろいろおかしかったんじゃないかなあという気がしてきます。その書物がなんなのかはわかりませんが。


結局、倭名類聚抄でなぜ蚰蜒がジムカデでもゲジでもなくナメクジになったのは謎でした。倭名類聚抄の蚰蜒の項目にあまりに不可解な部分が多いので源順がミスったのではないかという気がしてきます。ただやっぱり今の中国で蜒蚰がナメクジであることはゲジとの混同に関係してる気がするし、源順がただ間違えたとも思えないので、僕が調査できていない何かしらの書物が存在している気がします。謎の本草書とか兼名苑とか。

ちなみにインターネットで蚰蜒と蜒蚰についてを調べると、現在でもごっちゃにしてしまっている人がたくさんいることがわかりました。そうなるとやっぱりどっかで蚰蜒と蜒蚰を間違えて使ったのが日本や源順に伝わっちゃったんじゃないかなあ。根拠はないけれど。



日本における蚰蜒の意味の変化について

日本における蚰蜒という熟語の意味について、前回は倭名類聚抄と拳会角力図会と現在でしか考えていませんでしたが、別の時代の物も調べました。以下に時系列順にまとめます。


節用集でのふりがな


言海でのげぢげぢの項目 最後に蚰蜒とある(段をまたいでいたので加工してあります)

明治の時点で蚰蜒と蛞蝓の漢字の役割が現代のものと一緒になっています。言海明治維新に伴い国の命令で編纂された国語辞典であり、やっぱり明治維新の色々で中国での語意との比較が行われて誤用が改められたのだと思います。ゲジの説明中になんか本草綱目中に出てきた言い回しみたいなものを感じるので言海編集時に本草綱目かその系譜のものを参照していたのかもしれません。ちなみに「なめくぢり」の項目も存在していて、なめくぢに同じと書かれています。この時点でなめくぢという言い方がメジャーになっていたようです。ところで言海のなめくぢの項目の説明で「全身粘液(ヌメリ)多く、行きたる跡に雲母の如き痕を残す」っていうのなんかいいですね。雲母の如きとかいう言い回しあんま使ったことないので使いどころで使ってみたい。

結局その1で立てた仮説中にあった「日本での蚰蜒は平安時代から江戸時代までナメクジという意味だったが明治維新のごちゃごちゃの中でゲジという意味に訂正された」という部分は正しそうです。やったね!



日本における三すくみの起源について

「ヘビ・カエル・ナメクジ」から構成される日本の三すくみはいつ頃誕生したのでしょうか。これは前回の記事では大した調査の対象になっていませんでしたが、仮説を考える上では重要な問いです。wikipediaの虫拳の項目を見ると「平安時代の文献にも虫拳が出て来ることから日本の拳遊びで一番古いものだと思われる」というような記述があります。これをそのまま信じて今までやってきたわけですが、いざこのことを確かめようとするとこの言説の根拠が見つかりません。
日本の拳遊戯(上)(リンク先pdf)によると、虫拳が古来からあるという話は「拳の文化史」という本の中でセップ・リンハルト氏がしたのが最初らしいですがその論拠がどうにも怪しいようです。詳しいことはリンク先のpdfの15ページに書いてあるのですが、確かにその絵を見ても虫拳といいきるのは難しいでしょ、みたいなところが論拠になっているみたいです。
虫拳が存在していたらその時期にはもう日本に三すくみが輸入されていたということになるため、平安時代からあると言われている虫拳を1つの基準点にして三すくみの輸入時期を調べようと思っていたのですが、この状況を考えるとそれはできなさそうです。困りました。
今までに紹介した「ヘビ・カエル・ナメクジ」による三すくみの最古の記述は1809年の拳会角力図会の虫拳の図です。これより古いものを探したいのですが見つかりません。これについては追加調査を行って追記したいと思います。知っている人がいたら教えてください。

虫拳の発生年代が怪しいからといってその1で話した仮説が反証されたわけではなくて、仮説は全然維持されたままです。ただ仮説の立証が少し遠のいてしまいました。


江戸時代後期に葛飾北斎が書いた一筆画風というイラスト集にも「三癱」という表記で三竦みのイラストが載っています。しかしここに乗っている三竦みは「ヘビ・カエル・カタツムリ」によるもので、これもどうしてそうなったかは不明です。もしかしたら日本における三竦みの成り立ちに関係しているのかもしれません。



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注:これは北斎が描いた絵ではありません



まとめ

現時点での仮説は次の通りです

  • 中国での三すくみは「ヘビ・カエル・ムカデ」と「ヘビ・カエル・イナゴのようなもの」の2種類が言われていた
  • 時代と地域によって三すくみ中のムカデがジムカデに置き換わり、「ヘビ・カエル・ジムカデ(蚰蜒)」という構成の三すくみが発生した
  • 源順が倭名類聚抄を書く際に、なんらかの理由で蚰蜒をナメクジという意味で紹介した
  • 「ヘビ・カエル・蚰蜒」による三すくみが輸入されてきた時に倭名類聚抄やその系譜の本を元にした用いた解釈が行われて、日本の三竦みは「ヘビ・カエル・ナメクジ」になった
  • 明代の本草綱目をきっかけに中国での蚰蜒という熟語の意味がジムカデからゲジに変化した
  • 日本では明治維新での言葉の見直しで蚰蜒という熟語の意味がナメクジからゲジに変化した
  • 蚰蜒の意味の変化に関わらず、三すくみにはナメクジがそのまま残った


今後の課題

  • 日本に三すくみが輸入されたのがいつなのかを明らかにし、またその時点での三すくみの構成要素について考察する
  • 現代中国における蜒蚰がナメクジを意味するということについて詳しく調べ、昔の中国において同様の表現が存在するかを調べる
  • 倭名類聚抄中の本草が本当は何だったのか調査して確定させる
  • 蝍蛆や蚰蜒など意味が曖昧な単語について同音異義語や発音が似ている単語と意味が取り違えられた過去がないか調べる


感想

  • 高校の同級生に調べ物を手伝ってもらいながらやりました。積極的に人脈を利用していこうな。
  • 中国語でももともと蚰蜒はジムカデだったことからゲジには単語が当てられていなかったわけで、日本でも単語は当てられていなかったわけで、ゲジは十分特徴あるのに無視されすぎてて不憫でウケる。
  • 高校でちゃんと漢文をやっておいた甲斐がありました。意外と現代の中国語の論文も読むことができて楽しかったです。ただ前回も言いましたが僕は理系の学生なのでそもそもこういう調べ物の作法みたいなのを全く知らず、それに加えて中国語も你好と謝謝と再見ぐらいしか知らないので初心者が調子乗った時にやりがちな致命的なミスとかやらかしてるかもしれません。
  • 倭名類聚抄楽しいって言ったけど仏具とか位とか服装のところは全然興味がわかなかったので結局自分は古文書を解き明かしていくワクワク感と理科の図鑑が好きなだけっぽいです。調べる単語が生き物っぽいものだから頑張れた気がします。
  • このことを研究しようと思い立った2017/09/07からいろいろ調べたり考えたりまとめたりするのに集中しすぎて他の生産的なことに手がつかなくて大変でした。次のことを調べるのはのんびりやっていく予定です。


こういう研究って論文になるんですかね?追加でどれくらい調べるかはともかく内容の体裁を整えるぐらいなら全然やる気あります。追加で調べる気もありますが中国の田舎の村に行って語り部のおばあさんに話を聞くとかは無理です。論文になるならどこに出したらいいとかここをもっとこうしたらいいとか知っている人がいたらぜひ教えてください。あと今後の課題のところを調査協力してくれる人がいたら嬉しいです。ご協力お待ちしてます。


参考
国立国会図書館デジタルコレクション国文学研究資料館のデータベース
ことばの溜め池
Chinese Text Project
维基文库,自由的图书馆
古代中国の三竦み(さんすくみ)伝説と日本での変容 - NAVER まとめ
中國古籍中的蚰蜒與蜈蚣(リンク先pdf)
『倭名類聚抄』の本文に関する一考察(リンク先pdf)
日本の拳遊戯(上)(リンク先pdf)