三すくみについて

こんばんは。皆さんはじゃんけんを知っていますか?読者の皆さんにじゃんけんの基本知識があることを前提に今回の記事の序文は書かれています。じゃんけんを知らない人はじゃんけんについて調べてからこの記事を読んだ方が楽しめると思いますが、そうでなくても読むことはできるように書いていくつもりです。
昨日wikipediaでじゃんけんについて調べたら、じゃんけんに酷似した「虫拳」と言われる遊びがかつては存在していたということが書いてありました。じゃんけんにおける石・ハサミ・紙がそれぞれヘビ・カエル・ナメクジに置き換えられたもので、ヘビはカエルに強く、カエルはナメクジに強く、ナメクジはヘビに強いという三竦みになっています。


出典:拳会角力図会 2巻 1809年出版(24コマ目) 国会図書館のデジタルコレクション
右から 蛇(へび)・蛙(かはず)・蚰蜒(なめくじり) と書いてある


なぜ古来からあったこの虫拳がなくなってしまったのだろうかと思いましたが、それぞれの手が象徴するものがあんまりぱっとしないし、そりゃ今のじゃんけんに駆逐されて消滅するでしょという気もします。

ところで、大人気漫画であるNARUTOにも登場したこの三竦みですが、これって割と謎じゃないですか?ヘビがカエルを食べるのは良し、カエルがナメクジを食べるのもまあ良し、ナメクジがヘビを食べるのは…ナメクジがヘビを食べる?!ナメクジがヘビの死肉を食べることはあるかもしれないけれど、ナメクジがヘビを捕食することはないのでは?ナメクジは肉食性ではないし、何よりサイズ感に無理がありすぎるだろ、なぜナメクジなんだ、場違いすぎる、そうやって三竦みを無理やり作って楽しいのか?といった感想を持つことと思います。今回はこの謎について仮説を立てて、できればその仮説を検証していくことでなんかいい感じの結論を得ていきたいと思っています。






気が付きましたか?




ここまで読んだ人の中で偏執的に漢字を愛し誤植発見を趣味とする異常者がいたら、その人は先ほど載せた拳会角力図会の写真でおかしいところがあることに気付いたと思います。「なめくじり」と変体仮名混じりの読み仮名がふられた蚰蜒という二字熟語、現代の日本において「なめくじ」または「なめくじり」とは読まないんですよね。ナメクジは基本的に蛞蝓と書きます。NARUTOに出てきたデカいナメクジの「カツユ様」も蛞蝓の音読みから命名しているのだと思います。
では蚰蜒という熟語にはつまらない音読みしか存在しないかというとそうではありません。現在の日本でも蚰蜒という熟語には特別な訓読みが存在していて、「ゲジ」と読まれています。ゲジと聞いてぴんと来ない人もいると思いますが、俗にいうゲジゲジも同じ意味で、脚がたくさんある嫌われがちなあの虫のことです。関係ないですが僕はゲジが結構好きで、オオゲジとかかなりかっこいいと思っています。あの大量の長い脚とゴキブリをも上回る移動速度、捕食者であることを強調するような顎肢、微妙に青みががっているところ、意外とつぶらな瞳とかがポイントです。天敵に襲われるとトカゲのしっぽのように脚を自切して、ピクピク動くその脚に天敵が気を取られている間に逃げるところとかも好きです。かっこいいタイプの尖りデザイン生物ですよね。
話が逸れました。蚰蜒という熟語は現在の中国語にも存在していて、日本語と同じようにゲジゲジを意味しています。この事実を知った性格の悪い人は「あれこれ昔誰かが蚰蜒と蛞蝓を読み間違えるか書き間違えるかしたのがそのまま伝わっちゃってきてるんじゃね?」と考えることと思います。僕もそう思いました。僕は性格良いです。誰かが間違えちゃったんじゃないかなという疑念を肯定的にしろ否定的にしろ解き明かし、意味不明な三すくみに納得いく理由が存在しているのかしていないのかを調べていきたいと思います。

更なる情報
ここからはしばらく僕が考えたりやったりしたことを追っていきたいと思います。
僕は小学校と中学校の一時期、講談社+α文庫のマンガシリーズを朝読書の時間などに読んでいました。その中には中国の思想家についてのものもあり、僕は「マンガ 孫子韓非子の思想」「マンガ 孔子の思想」「マンガ 老荘の思想」を読んだことがあります。三すくみに関する一件に興味を持った時に、マンガシリーズの中に蛇が捕食される記述があったことを思い出しました。たしか老荘の思想の荘子の部分だったと思いますが、そのおぼろげな記憶の中ではヘビを食べるのはムカデということになっていたと思います。
ムカデを含む三すくみの出典をGoogle検索で調べたら、周の時代に書かれた「関尹子」という本に「蝍蛆食蛇、蛇食蛙、蛙食蝍蛆、互相食也」という記述があるのが最初らしいです。書き下すなら「蝍蛆は蛇を食らひ、蛇は蛙を食らひ、蛙は蝍蛆を食らひ、互ひに相ひ食らふなり」といったところでしょうか。
「関尹子」に訓点を付け加えた写本らしきものが国文学研究資料館のデータベースで公開されていました。「関尹子」の17ページ目の中ほどに記述があります。確かに書いてあります。データベースで大昔の本が公開されてるのって昔の文化と今の技術の融合ってかんじでなんかテンション上がりますね。
ここで出てくる蝍蛆というのがムカデのことらしいのですが、古代において本当にムカデなのかという根拠に関しては不明でした。これは良くないですが、ここではムカデということにしてやっていこうと思います。そうしないと話が進まない。もしこのことについて知っている人や調べ方がわかる人がいたらコメントなどで教えてくださるとありがたいです。(2017/09/27修正)この段落は蝍蛆の漢字ミスを含んでいたので内容を若干訂正しました。蝍蛆のことは最後にリンクが貼ってある「三すくみについて その2」で調べてあります。

ムカデがどんな感じの生き物かは皆さん雰囲気だいたいわかると思いますが、ムカデはナメクジとは全然違います。むしろムカデが近いのはゲジのほうで、そうするとなんだか1つ仮説が見えてきたような気がします。もともと三すくみはヘビ・カエル・ムカデによるものだったのがムカデがゲジにいつのまにか置き換わり、蚰蜒が蛞蝓と読み/書き間違えられてゲジとナメクジが入れ替わった、という仮説です。もっともムカデも別にヘビをめちゃくちゃ食べそうな感じはありませんが、ナメクジやゲジよりはヘビに勝てるチャンスがある気がします。

しかしながらこの仮説だと別にゲジを介さなくても直接ムカデとナメクジの字を勘違いすればよくない?と思いませんか?漢字にすると、蚰蜒を介さなくても蝍蛆と蛞蝓を直接勘違いすればよくない?という気がしますよね。ごちゃっとした虫へんの二字熟語だし。いや実際の歴史は起こったことが事実なので因果関係が必ずしも綺麗であるとは限らないためそう考えるのはちょっとおかしな話なんですが、もうちょっと綺麗な仮説があったらもっといいよねっていう気持ちはありますよね。


朗報です。もうちょっと綺麗な仮説、ありました。


中国語版のwikipediaで蚰蜒を検索すると次のように出てきます。

f:id:baklajan:20170908022802p:plain

これはたぶんゲジについて普通に説明している記事なんですが、注目してほしいのは「提示:本条目的主题不是蜒蚰。」という部分です。本条目的主题不是蜒蚰って「このページは蜒蚰についてのものではありません」って感じの意味だと思うんですけど、ってことは蚰蜒と蜒蚰は意味が違うってこと?蜒蚰ってなんなんだ?と思ってリンク先に飛んでみると、


f:id:baklajan:20170908023224p:plain
勝利の予感



なんと蛞蝓のページへのリンクになっていました。蚰蜒はゲジでも蜒蚰はナメクジのことを示しているようです。これは大勝利の予感がしますね。
説明によると現在ナメクジのことを蜒蚰というのは中国南部の一部地域だけとのようですが、Googleで蜒蚰と検索すれば蜒蚰は蛞蝓のことだよというページがたくさんヒットしますし、蛞蝓の別名が水蜒蚰という記述もあるので、蜒蚰は昔からナメクジを意味していたと考えてもいいんじゃないですか?とりあえずそういうことにしてください。そういえば蜒蚰螺と書いてかたつむりと読むみたいなやつをクイズ番組で見たことある気がします。あとから調べてみたところ、蜒蚰でなめくじと読ませる読み方も一応存在しているようですが、そんなにメジャーではなさそうです。この事実を知っていればもっとスムーズにことが運んだ気がするし、蜒蚰と書いてなめくじと読むと知っていた人にとってはここまでの話はちょっとかったるかったかもしれません。とにかく、この事実によって仮説がより綺麗な形に補強されます。

仮説

現段階でのもっともらしい仮説をまとめました。

  1. 周の時代には三竦みは「ヘビ・カエル・ムカデ」の3種の生き物によるものだった。
  2. その後時代が進むにつれ、外見の類似性からムカデとゲジの入れ替わりが生じ、「ヘビ・カエル・ゲジ」によって三竦みが構成されるようになった。
  3. 日本に「蚰蜒」という単語が入ってくる時に、誰かが「蚰蜒」と「蜒蚰」を勘違いして、「蚰蜒」がナメクジを意味するようになった。
  4. それを受けて日本における三竦みの構成員は「ヘビ・カエル・ナメクジ」ということになった。
  5. そのまま今に至る


どうでしょうか。それなりに筋が通っている仮説にはなってると思います。
日本に「蚰蜒」という単語が入ってくるのが三竦みと同じタイミングかどうかはわかりません(調べていません)し、「蚰蜒」と「蜒蚰」がどの段階で取り違えられていたについても言い切れる証拠はありません(調べていません)。ただいくつかヒントとなるようなものがあり、それを加味すればある程度可能性を絞ることができると思います。
今の日本において蜒蚰でナメクジと読ませる読みがメジャーではないことは、もしかして蜒蚰という単語が昔の日本に入ってくることはなく最初から蚰蜒がナメクジの意味を請け負っていたのではないかと考える理由になると思います。この考えが正しいのなら、虫拳の図からわかるように江戸時代に蚰蜒がナメクジを意味していたというだけではなく、もっと昔、日本が大陸から漢字を大量に輸入していた頃から蚰蜒がナメクジを意味していたはずです。それを裏付ける証拠が存在しています。
源順(みなもとのしたごう)が編纂した、意味によって分類された日本最古の漢和辞典である「倭名類聚抄」の第19巻に、蚰蜒という熟語の説明が載っています。


出典:和名類聚抄 20巻 930年ごろ編纂 1617年ごろに校訂・刊行 (22コマ目) 国会図書館のデジタルコレクション

右に蚰蜒がありその左には蝸牛があるわけですが、注目してほしいのは右の蚰蜒の項目の中の赤い枠で囲った部分です。「奈女久知」とかいてあります。これは仮名で和名を示したものであり、「なめくち」もしくは「なめくじり」と読むことができますね。この時代でも蚰蜒はなめくじを意味していたことがわかります。話はちょっと逸れますがこの本を読むと昔の言葉の読み方とか生き物のイメージとかを知れてめちゃくちゃ面白いです。

ということで日本における蚰蜒ということばの意味と読みについてですが、平安中期から少なくとも江戸時代後期まではナメクジを意味しなめくじりと読まれていたと考えられます。ではゲジはどうやって書き表されていたんだろうという話になってきますが、倭名類聚抄には載っていなくてわかりませんでした(他に調べていません)。もしそこで別の漢字が当てられていたりしたらより話が分かりやすくなってくると思います。

では逆に今度は蚰蜒の意味と読みがゲジに戻ったタイミングについて考えたいですが、調査不足もありよくわかりませんでした。ただし、蛞蝓という単語の輸入により蚰蜒が本来の立場を取り戻した、というわけではないようです。平安時代に深江輔仁によって書かれた日本最古の薬物辞典である「本草和名」に「蛞蝓」という項目が存在しています。


出典:本草和名 2巻 901年 - 923年に編纂 1796に刊行 (19,20コマ目) 国会図書館のデジタルコレクション
2ページにまたがっているものを加工で繋げてあります

この本において蛞蝓の和名は先ほどのものと同じ「奈女久知」と書かれていて、平安時代にはナメクジを示す熟語として蚰蜒と蛞蝓の少なくとも2種類が存在していたということになります。蚰蜒がゲジに戻ったのはいつ頃なんでしょうね。漠然とした勝手なイメージですが明治維新したらそういうの直りそうな気がします。



検証ポイント
おめでたいことにある程度もっともらしい仮説ができました。この仮説が正しいものかどうか検証したいです。仮説の正しさの立証はそもそも難しいですが、多くの論点についての検証にも耐えられるような強い仮説を目指していきたいという気持ちがあります。

仮説を検証するために必要なことは

  1. もっといろいろな年代の日本の文献について調べ、いつ蚰蜒をナメクジと呼ぶようになりいつ蚰蜒をゲジと呼ぶようになったかを調べる
  2. 中国におけるムカデ→ゲジゲジの変遷を確かめる
  3. 蛞蝓を蜒蚰と書く表記法が日本に熟語を伝える頃の中国においてどのくらいメジャーなものだったのか調べる
  4. 蜒蚰と蚰蜒は中国で混同されることがなかったか調べる
  5. ムカデがヘビを食べるという話はそもそもどこから来たのか調べる

といったところでしょうか。4番目に関してはwikipediaに誘導が付いているぐらいなんだからよく混同されてそうな気がします。

ここからの検証は膨大な文献検索や中国語の能力や膨大な中国語の文献検索が必要とされてきそうなので厳しそうです。誰かそういうの得意でちゃちゃっとやってくれる人がいたら結果を教えてください。




追記
今回の件について今まで調べたことを見直したりさらに詳しく調べたりしたら新たなことが分かったので追記します。
まず見直した部分について、次の画像をもう一度見てみてください。


最初は「和名奈女久知」というところだけ気にしてやったあナメクジじゃんと言っていたのですが、文章をちゃんと読むともうちょっと情報がありました。
蚰蜒の項目をフランクに現代語訳すると、

「兼名苑では蚰蜒は蚹蠃の一種だといわれていて、本草では螔蝓と言われていて、方言では北燕の人が言う䖡蚭であると言われている」

となります(たぶんあってる)。順番に解説していきます。
兼名苑とは現代では亡失してしまった唐の時代の語彙集の名前であり、蚹蠃は現代においてカタツムリを意味しているようです。兼名苑はもう存在しないので当時の詳しい語意は確認できません。
本草とはおそらく中国最古の勅撰本である新修本草(659年)という本草書(薬草についてまとめた書)のことです。ナメクジリという和名が与えられている螔蝓ですが、現代においてこの単語は陸生水生を問わず巻貝のことを意味しているようです。今と昔で用法が変わっていることが十分考えられるために原典で意味を確認したかったのですが、新修本草で虫がまとめられている16巻の内容を電子化したものを見る限り螔蝓についての記述は見つかりませんでした。新修本草の画像データも確認したかったのですが、16巻の画像データは見つかりませんでした。
方言というのは中国の方言をまとめた書物です。北燕とは五胡十六国時代に存在していた国の名前です。䖡蚭というのは北燕の方言で蚰蜒という意味だったのでしょう。細かいニュアンスの違いなども存在していたかと思いますが追究できません。


以上のことを踏まえて和名類聚抄に乗っている蚰蜒の項目をさらにかみ砕くと次のようになります。

「ある本ではカタツムリって言ってて、ある本では巻貝のことって言ってる。ちなみに北燕の方言では䖡蚭っていう、これ豆知識な」

こんな感じだとおもいます。つまり和名類聚抄に掲載される前の段階、誤訳とかそういう話じゃない参照した書物の段階で蚰蜒の意味がナメクジに寄っていたのではないかと思われます。2つの引用元の本をちゃんと確認できていないわけですが、中国国内においても蚰蜒がカタツムリもしくはナメクジを表す言葉だったという事実はたぶん間違いないでしょう。
こうなってくると「そもそも蚰蜒という単語がゲジという意味を持つようになったのが後のことで、それまではカタツムリやナメクジを意味していた単語だったのではないか」という疑問が生じます。このことについては中国の書物を読むことで解決できました。和名類聚抄を書く際に源順が参考にしたといわれる本があります。「爾雅」といわれる中国最古の類語辞典・語釈辞典です。この本は漢代に書かれたと言われていて、宋代に注釈を加えて編纂し直された「爾雅注疏」についてはChinese Text Projectというページで画像データが公開されていたため、蚰蜒の項目について調べることができました。画像を取ってくることの権利がどうなってるのか怪しいので蚰蜒が出てくるページへのリンクを貼りつつ文章を載せます。



蚰蜒
音義
  螾以忍反☆(ゆきがまえに虫)以善反本又作𧍢蚰音由蜒音延方言云宋魏之間蚰蜒謂之人耳字林云北燕人謂蚰蜒爲䖡蚭上音奴六反下音女其反
  此蟲象蜈蚣黄色而細長呼爲吐古案方言云蚰𧍢自關而東謂之蚰𧍢或云之人耳或謂之䗅𧕯趙魏之間或謂之蚨虶北燕謂之䖡蚭江東人呼蛩皆今蚰蜒喜人耳者也 蚰音由蜒音延𧕯音麗蚨音扶虶音于䖡音奴六切蚭音尼蛩音鞏



漢字ばっかりで困っちゃいますが、疏という項目の直後を見てください。疏というのはたぶん注釈とかそういう意味です。此蟲象蜈蚣黄色而細長という部分がありますね。この部分はたぶん「この虫は蜈蚣のような形をしていて、黄色くて細長い」みたいなことを言っていると思います。蜈蚣はムカデなので、爾雅では蚰蜒の項目でゲジの説明をしているようですね。その他の部分は地域ごとの別名をたくさん並べている部分と音の説明をしている部分があります。そのほかにもなんか言っている部分がありますが、ナメクジやカタツムリの話は出てきていません。

つまり、 すくなくとも爾雅注疏が書かれたといわれている宋の時代には蚰蜒がゲジという意味を持っていたことがわかります。爾雅や爾雅注疏が書かれたのは新修本草や兼名苑が書かれるよりも前であり、「そもそも蚰蜒という単語がゲジという意味を持つようになったのが後のことで、それまではカタツムリやナメクジを意味していたのではないか」という疑問は否定的に解決されました。

中国において蚰蜒の意味が「ゲジ→ナメクジ→ゲジ」という変遷をたどったのか、それともゲジの意味とナメクジの意味が両立していたのかは定かではありません。倭名類聚抄で参照されている2つの本を辿れないのが痛手です。そこを調べられたらもっと細かいことがわかるかもしれません。中国における蚰蜒という言葉の意味の混乱が蚰蜒と蜒蚰の勘違いによって生じたものなのか、それともこの混乱があったから蚰蜒と蜒蚰が別の単語として分離されたのかはわかりません。

ちょっとまとめます。中国では蚰蜒にゲジという意味があったのにも関わらず、倭名類聚抄の蚰蜒の項目にはナメクジの方の意味しか載っていませんでした。どうしてそうなったのかはわかりませんが、倭名類聚抄が作成された段階で日本における蚰蜒は完全にナメクジの方向の言葉になっていました。蚰蜒の意味についての混乱は日本での翻訳過程で起こった話ではなくて大陸で起きていたことだったようです。最初に立てた仮説とちょっと違いそうですね。


さっきからスルーしてきたんですが、倭名類聚抄で参照している書物の内容としては蚰蜒はどちらかというとカタツムリの意味になっていそうなのに、和名として奈女久知を当てた理由に関しても謎が残ります。これについては同年代の日本の書物でナメクジに関して触れているものを探したり倭名類聚抄の参照元をもっとちゃんと探したりすれば解決できそうですが、今回はここには突っ込まないことにします。



まとめ

  • 中国で言われていた三竦みは「ヘビ・カエル・ムカデ」によるものでありナメクジは本来入っていなかった
  • 漢代の初期では蚰蜒という言葉はムカデに似たおそらくゲジを意味していたようであるが、後の時代ではカタツムリの仲間を意味することもあったと思われる
  • 蚰蜒をナメクジとする中国の書物を参照していたために、倭名類聚抄では蚰蜒をナメクジとして説明していた
  • 中国において何らかの理由で三竦みのムカデがゲジと入れ替わり、蚰蜒という単語におけるゲジとナメクジの混同によって日本では「ヘビ・カエル・ナメクジ」で三竦みが構成されるようになったのではないか
  • 江戸時代後期にも蚰蜒と書いてナメクジと呼んでいた
  • 蚰蜒がゲジと読まれる現代においても三竦みの構成員は「ヘビ・カエル・ナメクジ」のままである
  • ここで考えたことが正しいという確証は全然ない。


残された検証要素

  • 中国の三竦みにおけるムカデ→ゲジゲジの変化を立証する
  • 中国での蚰蜒の意味の変化の有無と実情を調べる
  • 蚰蜒がナメクジという意味を持った経緯を調べる
  • 現在ナメクジを蜒蚰と呼ぶ地域において蚰蜒や蜒蚰という言葉とその意味の変遷を調べる
  • 蚰蜒という言葉にゲジという意味が戻ってきたのはいつなのか調べる
  • 蚰蜒をナメクジとしていた時代にゲジにあてられていた漢字について調べる
  • そもそもムカデだってそんなにヘビ食べないでしょ

こんなところだと思います、興味ある人は考えてみてください。

もし平安時代の日本にはゲジが存在しなくて、その後大陸から移入してきたゲジが日本に定着したがその時にはもう蚰蜒という単語はナメクジに取られていたから使えず、明治維新をきっかけに言葉の見直しが行われてそこでやっとゲジが本来の漢字を取り戻した とかいう展開だったら面白いと思うんですが、さすがにそんなうまくいくことはなさそうです


感想
初めてこういうことやったけど楽しかったです。漢文の本は字の形がわかるけど拳会角力図会は草書が全然読めなかったので読むのをあきらめました。国会図書館やその他のデータベースはすごいと思いました。中国の古い書物は漢文なので高校の頃の知識で読めたりして楽しかったです。倭名類聚抄も図鑑みたいで読んでて楽しいです。楽しかったので良かったと思いました。よかったです。

こういう調べて考える系のものの作法というか方向性みたいなのをちゃんとわかっていないので変なところとかあったら是非指摘してください。有識者の皆さんのご協力をお待ちしております。



さらに色々調べた「三すくみについて その2」を執筆中です(調べ物が終わったわけではない)(2017/09/10)

「三すくみについて」その2を公開しました(2017/09/12)
nemontemi.hatenablog.com



参考
いくつかのサイトに頼りました
国立国会図書館デジタルコレクション
国文学研究資料館のデータベース
[8月1日〜日々更新] 駒澤大学総合教育研究部日本文化部門情報言語学研究室のサイトです。ナメクジの表記についての言及があり、文献を調べる時の参考にしました。
Chinese Text Project
Wiktionary:漢字索引 部首 虫 - ウィクショナリー日本語版 爾雅の一節を手打ちするときに使いました。